始めれば始まる―今がその時 |
旧暦6月28日 一週間ほど前に実家へ4日間帰っていました。 それまで家の辺りはわりと曇りがちで、出かける前日~当日の朝は本当に涼しいくらいだったためそのギャップは大きく、おまけにエアコンの効かない車のため道中日が差し込んでくると、おまけにいったんどこかで止まったりしたなら本当にもう暑かったです。 それでも途中、道沿いに田んぼのあるところの風は幾分涼しく、アスファルトやコンクリートに固められたところはなんとも言えない暑さでした。 それに、山沿いではヒグラシが鳴き、街ではアブラゼミが鳴き、その声の違いだけでも涼しく感じたり暑く感じたり。 車社会の世の中、効率重視の世の中、道は車のために浅はかな知識でアスファルトに固められ、一見スムーズに走れるようになってはいるものの、本当に車のために道がよくなっているかは疑問で、まして本当にそれが人の為になっているかは―? 世の中いろんなところで、ただ効率だけを求めて何か悪循環に陥っている事がたくさんあるように思えるのです。 効率良ければそれでいいの? 効率悪ければダメなの? 一つそこにメスを入れた言葉が、今流行りのスローライフ・スローフードだったりするのでしょうが、ともすると言葉だけが先走り、また便利に使われ怪しげになっている所も無きにしも非ず… もっと大きな目で広い心で全体を見渡しその大きな流れをしっかり感じ取る事が必要なのだと思うのです。 すべては切れ切れに存在するのではなく、繋がりあっているものだから。 すべては別々の現象ではなくただ形を変えてそこここに現れているのだから。 でもつい迷ってしまいます。つい惑わされてしまします。そして悩んでしまします… 大いなる本質から離れてしまっているためでしょうか。 きっともうこれまでのやり方は、どんどんうまくいかなくなっていくのでしょう。お手軽だったり一見効率良かったり・・・ でもすべてに於いて無駄な事は何一つ無く、遠回りをしたようでも、そこから学ぶ必要があったからでしょう。それこそ一見効率悪いようでも、戦争を知らなければ真の平和が見出せないように。 そうは言っても一体何度同じような過ちを繰り返せば気付く事が出来るのでしょうか。 もう同じ繰り返しをやっている余裕などきっと無い気がします。 すべては今しかないのです。 今では無かったら一体いつその時がやって来るのでしょうか。 今からでも決して遅くは無い、始めれば始まる。 ―すべては自分へのいましめの言葉― |
by kun_puu
| 2005-08-02 15:45
| 自分との対話
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