偶然と言うものは無い |
旧暦5月11日 毎度ご無沙汰しております。 今年の田植えは手伝いに来ていただいた方のお陰で、予定より早く終わる事が出来ました。やはり人数があると―有難い事です。 -とホッとする間もなく、次に控えるは、夏野菜や大豆・雑穀の定植、麦刈り、草刈…。 雨降って欲しいな~… わずかに降るものの、この時期やっぱり降るものは降ってもらわないとね~。 ところで―。 つくづく、いわゆる‘偶然’というものは、本当にないんだと改めて思う事が。 偶然に見えるだけのことで、すべてはそうなるべくしてなっているー。 家の外に、お地蔵さんというか、石像があります。(恐らく大日如来を模倣しつつも、薬師如来が入っているそうなのです。)去年友人を通していただいたものです。数ある中から、たまたま一体選ばれて。 そして、もう一つ。家の中に、大黒さんのかかれた屏風があります。これも去年、取り壊される家からいただいてきたものです。 この薬師如来(大日如来)さんと、大黒さんが、この家で逢うべくして逢ったという話なのです。 それも、すぐ近くの清水に祭られている観音様のところへ行って業をするために。 これは、こういうことが分かる人を通じて知った事ですが、いろんなお話を聞いていて、偶然のようで、偶然というものは、何一つないんだなと思いました。私たちが、この土地に来た事も。 昨日も、たまたま、家のだんなが外に出ていた時、去年の台風で崩れたところを工事に来ている人が「あそこの木を切らなー」という話し声が聞こえてきて、どう見ても、それは、家の前の川渕に生えているタラの木のようで、工事の人に話を聞きに行くと、ダンプを通す為に切るとの事。 家のだんなは、毎年タラの芽を楽しみにしているので切らないで欲しいとお願いして、どうやら切られずには済みそうですが。町の人は、春になると、山菜、山菜と言って車でやって来ては、どっさりと取って行くのに、本当に無神経!! でもこの事は、切られたくないタラの木と、切られたくない私たちの何かが通じて、この話を聞かされたのかと思うと、たまたま外にいて話が聞こえる所にいたのでは無いんだな~と思いました。 そんな風に、すべてを見てみると、本当にあちこちにメッセージなり、何かのヒントなりが散らばっているようです。気付ける者だけが解るオープンシークレットですね。 もっとこれからより注意深く意識的に過ごしていきたいなと思います。 |
by kun_puu
| 2005-06-17 12:00
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