ソンナフウニワタシモナリタイー |
旧暦6月16日 この10日ほど前からヒグラシが鳴き出し、少し日が陰ったりするととたんに、ヒグラシの大合唱が始まります。この声を聞くとほんと涼しげなので、ホッとします。 このところは、日の陰り具合と、ヒグラシの声を聞いて、夕方近くから外作業に出るといった過ごし方です。 基本的にどちらかというと暑いのは苦手だし、今はあんまり長い時間草を刈ったりしゃがんでの作業は負担になるので。―とかいいつつも、涼しくなる夕方、近頃は虫も少なく作業がしやすいので、ついつい手元が見えなくなるまで畑にいて…^^; 本当は、日中は日向でも町に比べると涼しく(特に川沿い!) 比較的風のあるところなので外にいても鳥や虫の声を聞きながら作業をすれば気持ちいいのですが、う~ん、、、今年はあと二ヶ月足らず、ちょっと無理しないでおきます。^^; ところでー いつもいつも思う事は、目先にとらわれず、本当に大切な事は何か、ということ。 どのように日々過ごすかということ。 生きる為には食べる事がやっぱりまず大切で(生命維持というところからも) 何を食べるか、如何に食べるか、誰と食べるかetc。 そして、どのように作るか。(作っているときの気持ちetc) それを軸に、田畑で自分たちが食べていくものを作るというところに立って、その場所でもどのような気持ちで作業するか。 ここには何人かの人たちがそれぞれの田畑を自分で管理しているので、その姿を見ていると、何かその人らしさというか何かそんなものを感じます。 そんな中で感じる事は、与えられた情況に文句をいわず、今出来ることを淡々とこなしていく事じゃないかと、そんな謙虚な気持ちが大切なのかな~と。 焦ることなく。 あ~、私自身、本当にこれが大切なのだろうとつくづく感じますが。 つい頭を使って考えてしまうんですね。だからあ~だこ~だ思って心配したり不安に思ったり、イライラしたり焦ったり… 頭を使う訓練、知らず知らずのうちに随分とさせられて(?)きたもので、感覚を信じる事が出来にくくなっています。感覚は、どことなく不確かに見えるところがあるから、というよりちゃんと証明できないものは不確かだと教えられてきたから。 でもこの辺の事を伝えるのはとても難しい。(と思ってしまっている、だけかもしれないけれど) なぜかと言うと、中には、あんまりにも自分でちゃんと責任を持って生きていないと思われる人もいるから。 今のまわりの状況を判断したりしながらその中で自分に出来る事を判断せずに、いわゆる指示まちと言うかお任せと言うか、責任をとらなくてもいい楽ちんな道を選んでいるように思われる人が・・・ なんて本当はとてもえらそうな事いえる私ではありません。(ゴメンナサイ…;) やはりこれも、指示によって動く事を訓練されてきた、そんなものを感じています。 あと、人の言っている事を素直仁信じない。(^^) よく「うそ~?!」なんていったりってあるでしょ?! その反面ある種の力(?)のある人の言う事(特にテレビなどで有名な人) になると即鵜呑みにして振り回されたり。 もっと自分自身を信じて自分の力を信じて、見えているものは氷山の一角と言う事も忘れずに広い大きな目を持って与えられた事を淡々とこなしていける。そんな生き方ってかっこいいな~なんて思うのです。 ソンナフウニワタシモナリタイー |
by kun_puu
| 2005-07-21 11:23
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